雑誌『Actio』に山さんの映画評が載りました。今話題のドキュメンタリー映画『100,000万年後の安全』について書きました。当初は渋谷のアップリンクだけでしたが、メディアでも数多く取り上げられ、連日満員になったこともあって、今では各地の映画館で見られます。核廃棄物の問題は、他人事ではありません。今回、編集担当の方には、大変お世話になりました。どうもありがとうございました。この『Actio』ですが、エコ&ピースの雑誌で、特に今月号は、脱原発ネタ満載で、いろいろ勉強になります。また、想田和弘監督のインタビュー記事もあり、監督、なかなか興味深い話をしています。山さんの映画評は、その次のページでした。
悠くんの体重14.6kg。
【『Actio』5月号】
『100,000年後の安全』 山内 和彦
「あの日」を境に、自分の意識がすごく変わった気がする。いや、覚醒したと言ってもいいくらいだ。「あの日」とは2011年3月11日。巨大津波の被害の大きさに衝撃を受けたが、それに留まらない。安全だと思わされていた原発が、実は、たいへん危険なものだということが明らかになったからだ。いや、危険だということはうすうす分かっていたが、考えないようにしていたのかも知れない。目に見えない放射能の恐怖が、心の目で見えるようになった。連日報道される福島第一原発周辺住民の強制退去の様子は、とても他人事とは思えない。
そんな中、『100,000年後の安全』というドキュメンタリー映画が話題になっていることを知った。まるでSF映画のようなタイトルだが、フィクションではない。渋谷のアップリンクで今秋予定を前倒しで緊急公開となった。連日超満員というあまりの人気に、全国50ヶ所以上で公開も決まったそうだ。
この作品も、「あの日」より前なら関心は薄かっただろう。日本から遠く離れたフィンランドの核廃棄物の保管についてなんて。でも今は違う。10万年という途方もない年月も、放射能のことだとすぐに連想できる。この問題は、原子力発電を行っているすべての国に共通だ。フィンランドが日本と違っているのは、そのことがきちんと情報公開され、国民的議論の結果、原子力発電を決定し、核廃棄物の問題に向き合おうとする姿勢だ。さすが民主主義の進んだ北欧の国だと羨ましく思える。
しかし、マイケル・マドセン監督は、この作品を通じてフィンランドの人たちに明確に問題提起している。いや、それは全世界の人にも向けられている。本当にそれでいいのかと。作品の舞台となっているのは、フィンランド政府が世界に先駆けて作った核廃棄物の保管施設「オンカロ」。フィンランド語で「隠れた場所」を意味する。ヘルシンキから西に240km離れたオルキルオトにある硬い岩盤を削って作られた巨大な地下施設だが、その責任者に監督は問いかける。10万年後の安全がこれで保障されるのかと。まるで禅問答のようなやり取りが滑稽にも思えるが、笑ってばかりもいられない。それは核廃棄物の最終処分ができない日本の僕たちにも向けられているからだ。作品は実に美しい。「オンカロ」の様子は、まるでSFに出てきそうな無機質な未来都市のようだ。暗闇の中、監督はマッチを擦ってその火が消えるまでに、何度も問いかける。人類は消せない火を手に入れたことを。
「あの日」以降、日本の人々の関心は大震災と原発といっても過言ではない。4月10日投票の統一地方選挙が迫っていたが、どの候補者も大震災へのお見舞いは語るのに、原発のこと、放射能汚染のことには一切触れない。僕の住む首都圏の放射能の数値は下がらないままだ。あえて触れない方が、票につながるとでも考えたのだろうか。原発事故を起こした東電がバッシングされているが、政治に責任はないのか。大惨事を起こし得る原発を推進してきたのは一体誰なんだ。静観している政治家たちに、何だか無性に腹が立ってきた。4月1日告示の3日前に、突然、川崎市議会議員選挙に出馬を決めた。脱原発で自然エネルギーへのシフト、放射能汚染のないまちづくりを主張するために。準備不足過ぎて選挙は落選したが、自分の中ではスッキリした。僕の考えに耳を傾けてくれる多数の人の存在を知ったからだ。政治が無責任なのは、今に始まったことではない。政府の言うことをそのまま受け入れるのではなく、原発や放射能についても、もっともっと知った上で、もっともっと想像力を働かせて、議論しなければならない。10万年後に生きる子孫の安全も考えて。この作品はその機会の一つだ。
posted by 山さん at 23:59| 神奈川 ☁|
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